喧嘩出来る相手がいるということは

ふとしたことでカッと頭に血が上ってしまったり、何気ない一言から予想もしなかったバトルに発展してしまうことがあります。そんな時は少し我慢して深呼吸、冷静さを取り戻す努力をすればトラブルは小さく収められるのかもしれません。とはいえ、人間は感情的な生き物ですから、そう簡単に気持ちを抑えることは出来ません。つい後先考えず爆発してしまい、あとで後悔してしまったという経験が私にも多々あります。
そんな時によく思い出す物語があります。子供の頃に読んだ本なので、題名や著者名などは思い出せないのですが、喧嘩をしたまま別れた親友ともう二度と会えなくなってしまうという話です。当時の自分と親友に重ね合わせて想像し、幼心にとても辛く悲しい思いをしたことを覚えています。今、隣に居る人が明日は居ないかもしれないという事をなんだかリアルに思い浮かべる事が出来なくて、なおさら漠然とした見えない恐怖のようなものを覚えました。
居て当たり前だと思う安心感や、相手に対するちょっとした不満が些細な争いを生むのかもしれません。相手が居るからこそ喧嘩が出来るのだということ、お互いに妥協しなければならないこともあるのだということ、そして、後悔したなら反省することが必要であり、些細な喧嘩も幸せなことだと思える余裕が欲しいものです。

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絵本というサプリ

先日、微笑ましい風景に出会いました。知人の家にお邪魔した時のこと、その知人には男の子と女の子の姉弟が居るのですが、フローリングに大きな絵本を広げて楽しそうに眺めているのです。何気なくどんな本を見ているのか目をやると、私も小さい頃に夢中になって楽しんだものと似たような、間違い探しの本でした。思わず顔が綻んでしまうような温かい気持ちにさせられますね。その他にもそのお宅には、ラックにたくさんの絵本が飾られており、目にも楽しめるような収納の仕方が工夫されていました。それらの中から数冊を出して見せてもらったのですが、大人になった今でもついつい真剣に見入ってしまうような不思議な力が絵本にはあるものです。それぞれの作家さんの個性というものがあり、絵も内容も、醸し出す雰囲気も違うもので、絵を見ているだけで気持ちが和んでしまうような作品から、そこから教訓に繋がるような深いもの、鬼気迫るような恐ろしげなものまで実にたくさんの物語があります。
絵本には色々な魅力がぎっしり詰まっており、実は疲れた大人にこそ時々眺めてもらいたいサプリメントのようなものなのかもしれません。きっと思わぬ効果があるのではないでしょうか。

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日本語の美しさ

自分の想いを詩的に美しく表現出来たら、どれだけ素晴らしいでしょう。今と昔では生活様式がガラリと変わり、色々な場面で便利さ、快適さを感じる事が出来ます。暑いときは涼しく、寒いときは暖かく過ごすことができ、科学の進歩、先人たちが築いてきた多くの結果の恩恵を受けている私たち。日々感謝しなければなりません。ですが、同時に失ってきたものも多くあるのではないでしょうか。
例えば、昔の日本人は、短歌や俳句のような短い文章の中で自分の気持ちや状況をうまく表すことが出来ました。「季語」というもののおかげで、季節がいつなのかを短い言葉で美しく表現することも出来ましたし、日本ならではの表現方法や言葉たちのおかげで、その人らしい伝え方、その人の文章のスタイルや個性がよく見えたのではないでしょうか。
ですが、今ではこの便利さのおかげで「季語」要らずのようになってしまっています。常に室温は保たれ、遠く離れていても携帯や新幹線の存在が距離を短くしてくれたりもします。「会いたい」は、ただの「会いたい」になってしまっているような気がするのです。
この便利さがなければ、きっと私たちは今の社会では生活してはいけないでしょう。ですが、古来から使われていた日本語の美しさはもっと日々に浸透していってもいいのではないでしょうか。

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読書を仕事に活かす方法!

社会人になると、なかなか本を読めないと嘆く人をよく見かけます。
時間が思うように取れなくなったり、疲れていて帰宅後も集中して読書ができないのでしょう。それでも、「面白い本を読みたい!」という切なる気持ちを持ち続けているというのですから、同じ本好きとしてとても同情してしまう状況です。
しかし、そのような中で何とか読書を仕事に活かそうとしている人に出会いました。その人は週末には決まって休みがあるのですが、平日はとても忙しい日々を送っています。せっかくの休みも、たまっている家のことをして休むと、あっという間に時間が過ぎてしまうというのです。そして週明けには、休みの反動で午前中はなかなかエンジンがかからない状態だといいます。でも、このような流れは、この人でなくても良くあることですよね。
それでも、その人は寝る前に読書をすることにしたといいます。読む本は自分の好きな作品です。また、読書の時間を確保するようにしました。すると、次の日の仕事はじめがこれまでと違ったといいます。まず、今日しなければいけないことや週末に送られていたメールをチェックするにも、頭が良く働いていて早く処理できるようになったと言っていました。読書で頭が活性化しているので、仕事でもブランクが感じないというのです。
休日に楽しんだ趣味が仕事に活かされている、とても良いパターンだなぁと思いました。

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病院の待合室は意外と落ち着かない

病院の待ち時間は、診察までずいぶんと時間がかかってしまうイメージですよね。
風邪やインフルエンザがピークのときには大変混み合いますし、予約をしている受診でも総合病院などでは2時間待ちは当たり前というところが多いと言われています。
そんなときこそ、本で時間をつぶすのです。私は、こういうときこそ普段から読もうと思っていた本を持ち込むようにしています。
診察まで時間がかかるもの。
分かっていても、いつ名前を呼ばれるのか気にしてしまうと、目の前の本に集中することができません。私は小説を持つことが多いのですが、なかなか一行が進まなくなってしまうのです。病院は静かな空間ですし、例え呼び出しを逃したとしても、さらに呼んでくれる場合もあります。気にし過ぎなのかもしれませんが、一度気になってしまうとなかなか抜けない私の性格なのでした。
この待ち時間に読む本を、少し変えてみようとも思っています。一話が短く終わる短編集やショートショートにするとか、漫画本だけにするとか。普段から興味のある雑誌に変えてしまってもいいかもしれません。
大好きな本ですが、場所によっては読むジャンルを変えると効率よく消化できるものかな、と思うようになりました。

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短編集についての意外な意見

通勤中の細切れの時間に、就寝前のちょっとした時間に、短編集はとても読みやすいスタイルだと思っていました。ショートショートともなると2、3ページで終わってしまう物語が、文庫本の中に20個くらい入っている場合もあります。長くお手軽に楽しむのであれば、これほど読みやすいスタイルは無いのではないか、と私は思っていました。
しかし、短編集があまり好きではないという本好きの友人の意見を聞いたことがあります。
友人曰く、せっかく物語の中に入り込んだと思ったら、その物語が終わってしまうというのです。そして、また別の話に移っていきます…。落ち着いて読むことができないという意見でした。
また、短編集でもテーマが設定されていて、さまざまな作家の作品が収録されている形式の物もあります。私は未読の作家に触れることができるので、球に手に取るのですが、友人は「違う文体に切り替わるから読みにくい」というのです。なるほど、作家によって確かに文体は個性が現れます。私は特に気にしていませんでしたが、短いスパンで変わるというのは、確かに気になるかもしれません。
長編は時間がないと取り組むことができない、と私が思っているように、短編集が良い側面ばかりを持ち合わせていないことを、友人を通して知ることができました。

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ご夫婦共に大好きな作家さん!

作家同士でご結婚されている方は多くいらっしゃいます。
特に、両方の作品を読んだことがあり、ファンであると何だか他人事ではないように嬉しくなってしまうものです。
「ジャンルが似ているからご夫婦なのね!」とか「全く別の作風なのにご夫婦なんて、惹かれあうものがあるのかしら?」などと、余計なことを考えてしまいます。
たまに、ご自分の作品中やコラムなどで相方さんのことに触れられていると、「相手のことをこんな風にご覧になっているのか!」とファン心に嬉しさが加わります。
どちらかがあまり作品を発表しないときがあると心配ですし、作風が似てきたところがあるとニンマリしてしまうことも…。
ご夫婦で同じ職業で、しかも作家だなんて私にはとてもご縁の無い現実だからこそ、興味深々になってしまうのかもしれません。ご夫婦だと知られていても、お互いにプライベートは語られない方もいらっしゃいます。
同じ職業で生活されているなんて、どんな風に役割を分担しているんだろう?作品のことを話されたりするのかしら?などと考え始めると、本当に止まらなくなります。
本好きにとっては憧れのひとつであり、興味が向いてしまう方向になってしまうのですね。
作品には書かれていない、お人柄を想像してしまうことも一つの楽しみになってしまいます。

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本の世界から音楽へ!

私は、本を読みながら音楽やラジオをかけることが多いのです。
このスタイルについてはよく、「変わっているね」と言われています。音楽はまだ他の人でも同じようなスタイルの人がいるのですが、ラジオは少数派のようです。「漫画であれば大丈夫」という人もいましたが、小説となると「活字を追っているのに話の内容が気になって集中できなくなってしまう」と言われてしまいました。なるほど、確かにそれは一理あります。実際に私も、興味ある話題が流れてきたときには、思わずページをめくっている手が止まりました。あっという間に読書はどこかに行ってしまい、ラジオを聞く時間となってしまうのです。
ラジオはテレビと同じように番組があり、点けていると音楽が流れることもあります。
ときに、まったく知らなかったけれど気になる音楽が流れることもしばしばです。そんなときには、曲のタイトルやアーティスト名を聞き逃すまいと、耳がラジオに集中してしまいます。物語の世界から、音楽の世界へひとっ跳びです。想像力を掻き立てられるという点では、これらは共通しているということができるでしょう。メロディーや活字から、何かを感じ取ることが、私は大好きなのかもしれません。ちょっと変わっているかもしれませんが、リラックスできるスタイルが一番いいのです。

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受験参考書が…

受験生にとって、もはや必須アイテムとなってしまった参考書。学校で使用している教科書やテキストに加えて、受験勉強をさらに充実したものにすべく用いる受験生は多いのではないでしょうか。
私のイメージでは…といいますか、私が現役の頃は、赤本と言われる各大学の入試問題に特化したものや、教科ごとの有名学習塾が発行しているものなどが取り揃えられていました。内容は各種特徴がありますが、共通していることは、いずれも表紙がシンプルだったということです。中身はもちろんワークが中心ですから、デザインも何もありません。同じようにカバーもシンプルかつ一見で、「問題集」であることが明確になっているものでした。
しかし、最近になって私は流行を目の当たりにしたのです。なんと、お堅いイメージの表紙に萌えキャラが登場しているではないですか!他にも、アニメ調のキャラクターなどなど…、とにかく、お勉強のイメージからかけ離れているのです!恐る恐る中身を見てみましたが、さすがに問題の部分は以前とは変わっていないようでした…。
時代の流れなのか、受験という最もストレスフルな時期に少しでも安らぎを覚えて欲しいという配慮なのか…。私には見当もつきません。ただ、こうした表紙デザインによって売り上げが左右されるのであれば、発売元も必死に工夫を凝らしているのだなと思った次第です。

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夜行バスの読書灯は使えない…

遠くへ旅行する場合に、夜行バスを利用することがあります。仕事が終わってから移動することができますし、車内で睡眠を取りながら現地へ向かうというのは、とても時間の節約になると思うからです。
そんな夜行バスには、読書灯が付いています。睡眠できるだけの時間を車内で過ごすので、眠れない人もいるだろうという配慮だと思います。
けれども、実際にはこの読書灯があまり利用できないと思うのです。4列シートの場合でも、窓側と通路側の席に1つずつ設置されています。実際には消灯時間があって、その後には携帯電話の光でもNGとなってしまうのです。私は乗り物の中でも特に気にすることなく眠ることができますので、ちょっとだけ残念に思いますが、それでは何のための読書灯なのだろうかと思ってしまいます。
実は、私は夜行のものだけを利用していましたが、長距離バスという括りで、朝や昼に出発している便もあるのでした。そのようなバスであれば、消灯時間もありません。走行時間や場所によっては、手元が暗く見えてしまう場合がある…。そんな時に、読書灯が活用されるのかもしれません。
乗り物の中での読書は、酔ってしまうという人もいますが、何時間も乗っているとやはり寝ているだけではもったいない!時々は、本を開きたいと思うのです。

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